脱藩した龍馬が四国路 最後の夜を過ごした宿。―冨屋金兵衛邸― 翌日 長浜港を出て長州に渡り、日本の龍馬になった。
平素より冨屋金兵衛邸をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、しばらくの間、宿泊は1日1組限定(1名様~ご家族様)にさせていただき、お客さまの安全確保に最大限努めながら営業させていただきます。よろしくお願いいたします。
冨屋金兵衛邸 女将 松本久仁恵
ごあいさつ申し上げます。
冨屋金兵衛は、私の高祖父にあたります。冨屋金兵衛邸は土佐を脱藩した坂本龍馬が四国最後の夜を過ごしたとされています。
その夜龍馬と金兵衛さんはどのような時間を過ごしたのでしょうか。
金兵衛さんに寄せられた虎太郎からの手紙を展示しております。
目の前には肱川あらしで有名な赤橋(長浜大橋)や、船で渡れば猫で話題となった青島(猫島)があります。
お越し下さる皆さまが楽しく過ごしていただける、そんな冨屋金兵衛邸にしてまいります。是非お越しください。お待ちしております。
冨屋金兵衛邸 女将
松本久仁恵
高知県立坂本龍馬記念館提供
幕末の風雲急を告げる文久二年(一八六二)春、土佐の郷士坂本龍馬(二十八歳)は自らの使命を自覚するや、決然として脱藩した。
三月二十四日龍馬は同志の沢村惣之丞と高知を出、二十五日夕刻梼原村に着き那須邸に宿泊。二十六日那須俊平・信吾父子の案内で国境の韮ヶ峠を越え、伊予国に入り、大洲領の泉ヶ峠に宿泊、二十七日(新暦では四月二十五日)宿間村から小田川・肱川を下り大洲城下を経て、夕方長浜村の冨屋金兵衛方に着き宿泊した。
翌二十八日、長浜の港を出て、海を渡り、長州に着き、更に京に上り、維新革命の渦中に身を投じた。
冨屋金兵衛は紺屋を営む商人であるが、勤王派志士を援助して、龍馬に先んじて、吉村虎太郎らも滞留している。
脱藩龍馬は四国路最後の夜、この家でどのような夢を見たことであろうか。
あなたも龍馬が宿泊したこの家で、自分の人生と日本の将来を考えてみませんか。
団体やご家族でのご宿泊に2階貸切プランをご用意いたしました。
龍馬の間、虎太郎の間、金兵衛の間の3部屋をご利用いただけます。
その昔、龍馬が四国路
最後の夜を過ごした部屋
旅の疲れを静かに癒す
心落ち着ける空間
肱川あらしが眼前に広がる
この部屋ならではの景観が
龍馬が冨屋金兵衛邸に宿泊した証になる、吉村虎太郎の手紙や、冨屋金兵衛が残した文字の解読が至っていない文書など、龍馬ゆかりの貴重な資料を多数展示 しております。残された当時の資料に龍馬の足跡を感じられる一室です。
冨屋金兵衛邸までのアクセス
さまざまな観光名所が歩いてすぐ